Country music news

Country music news
reported by Tom Kawai

トム川合のWeb Radio局、24時間放送中!   




9th of Sept., 2015

■ 1972年以前の曲は全米のラジオから消える!!!???

アメリカ合衆国のラジオ&TVのネットワーク・システムは、日本ではとても想像できない仕組みになっており、またそれを説明してもわれわれの殆どには理解が出来ないとは思う。日本にはそのようなシステムがなく、実際、事実上それらの巨大ないくつかのシンジケートが、アメリカのラジオ&TVの電波を牛耳っていることは公然の秘密のようなものだ。私も昔、放送業界で仕事をしていた頃、ニューヨークに出張し、ビルボード誌の本社編集室やらCBSラジオ&TV局を訪問したことがあったが、そのとき見聞きした現実のいくつかは、決して日本の一般の視聴者には公開できないものであったし、また忘れることの出来ない現象でもあった。
が、あれから数十年を経て、なおも巨大発展し続けているシンジケートとそのシステムは、私から言わせれば、全米の視聴者を手取り足とりで自在に操るロボットそのものとしか思えない。
また、皆さんも、アメリカには今までに無数のメジャー&インディー・レーベルが存在し、それらが多くのヒット曲と有名アーティストを生んできたことは、ご存知だと思う。それら無数のレコード会社などの財産といえば、勿論音源を入れたオリジナル・マスター・テープとその所有権というわけだが、その所有権はレーベルが市場から消えてしまっても、永久と言っても過言でなく、転売され続ける運命にある。そして現在の所有権保持者(=ホールディングス)が、新たに当該音源の再発売や初CD化をもくろんで借りに来るレコード会社等に、ライセンス貸しし、そこから利益を搾り出した後、また次のホールディングスに転売してゆくのである。

そのホールディングスのひとつに、ABSエンターテイメントという会社があって、そこがこともあろうに、全米の放送界を牛耳る3大シンジケートを相手に、大訴訟を起こしているのである。このABSエンターテイメントという組織は想像もつかないほどの巨大な化け物といわれ、資産は途方もない額だという。それが今、エルヴィス、シナトラ、ビートルズなどの音源の所有権を買収すべく動いている。だが彼らは決してそれより新しいビッグ・アーティストの権利をターゲットにしてはいない。何故か。それはその今回の放送シンジケートに対する訴訟理由を見れば理解できるのである。
3大ラジオ放送シンジケートとは、つまりCBSラジオ、アイハート・メディア、キュームラスだが、これらシンジケートが訴訟されている理由とは、「1972年以前に録音された全ての音源のオン・エア禁止」なのである。ABSエンターテイメントは、「1972年以前、つまり音楽著作権の保護期間が自動的に切れても、音源の所有権使用権は永遠に消えない」、というものであり、「それらの音源をオン・エアした場合、放送使用印税は、永久に支払われなくてはならないはずだが、一切支払われていない」、というわけなのだ。

ABSエンタがここに目をつけたのには、ひとつのヒントたる事件が1年前に起きていた。それは日本でも60年代に人気があったカリフォルニアのバンド、ザ・タートルズ(「悲しきベイブ」「ハッピー・トゥゲザー」など)の現メンバーらが、シリウスXM、RIAA(全米レコード業協会)、パンドラなどの、FM電波だけをシンジケートする上記3大シンジケートの下部組織(というか配給組織)を相手取り、楽曲の放送使用印税の支払いを求めて訴訟を起こし、これに大勝し日本円で数千万円の支払いを勝ち得ている、という現実だ。

さて、実はここまでが前置きのようなものなのだが、では何なのだということになるが、全てのアメリカのラジオ&TV放送局では、「今まで放送印税を支払うことはしなかった著作権保護期間切れの曲、つまり今年なら1972年までの曲は今後一切オン・エアしないようにするしかない」という方向に向かう可能性がかなり大きいらしいのだ。もしそうなったらどうなるかといえば、CDやデジタル販売で曲を購入して楽しむならいいが、カーラジオや家のラジオからは、流れなくなる歌手や曲が多数出てくることになる。カントリーでいえば、パッツィー・クライン、ハンク・ウィリアムスなど1972年以前にしか録音がないアーティストはずべてが、また1972年をまたいで活躍している歌手、例えばロレッタ・リンやバック・オウエンズほか多数も大半がオン・エアされなくなるということだ。
どうなるのか、裁判の行方を注視したい。


8th of Sept. , 2015

■ ガース・ブルックスがあの謎の多い曲、”Friends In Low Places” を再録音!

“Friends In Low Places” といえばカントリー・ファンなら誰もが知る、1990年のガース・ブルックス全盛期の大ヒットであり、また多くの歌手にも取り上げられているのだが、この曲には、実は3番の歌詞があるにもかかわらず、ヒット・ヴァージョンは2番までしか歌われていない。そのためということではないが、最近この曲をガースは多彩なゲストをフィーチャーして再録音した。
フィーチャリング・ゲストの一人は、元々この1990年のいヒット・ヴァージョンにも関係していた、ジョージ・ストレイト。そして他にジェイソン・アルディーン、フロリダ・ジョージア・ライン、キース・アーバンなどだ。他にも数人ゲストがいる模様だが、まだ詳細が明らかになっていない。
なにしろ、1990年にオリジナル・ヒット・ヴァージョンが2番までしか録音されていないと知られた頃から、「何故3番を含んだ全曲が録音されなかったのか?」という”不思議な疑問”が、今日まで囁かれていただけに、今回のこの焼き直し&ゴージャス・ヴァージョンの行方が興味のあるところだ。それに、この名曲が再ヒットとなることは、間違いないであろう。
なお、曲が到着しだい、ストリーミング・アップする予定。


August 20, 2015 issue

■ハイ、昔からフランスではカントリーが盛んなんです===最新フレンチ・カントリー事情

カントリー・ミュージックはロック・ポップス、R&Bに匹敵するくらいヨーロッパでは盛んなことは、皆さんもよくご存知かと。ことにイギリスで1960~70年代終わり頃まで毎年開催されていた、ウェンブリー・カントリー・ミュージック・フェスティヴァルといえば、人気アーテイイストの多くが毎年ナッシュヴィルから参加していて、アメリカからも見に行くファンも多かったくらい、大規模なフェスだったのだが、そのイギリスは現在もそれなりに盛んではあるものの、アイルランド、デンマーク、ノルウェイ、ドイツの台頭で、今では5番手くらいに廻っているというのが現状。
ところが、もう少しヨーロッパでも南に下がってみると、フランス、オランダも実は大変なカントリー・ミュージック・ヘヴンなのである。オランダでは忘れもしない, 故ビリー・ジョー・スピアーズ(Billy Jo Spears)がそのシグネチャー・ビッグ・ヒットである、”Blanket On The Ground” でミリオン・セラーを記録し、同時に同国の音楽大賞でグランプリを獲得し、さらに国王からアメリカ人の芸能人としては初めて国家的栄誉賞を授かるなど、さらにあれから30年経った現在でも、同曲はオランダの永遠の名曲として歌われ続けているというくらいなのである。
それに負けてはおれずではないが、フランスではまたこのところフレンチ・カントリー・シーンがにわかに活気づいている。音楽的には、さすがに音楽が盛んな国だけあって、インストルメンテーション・テクニックなどは一流であり、ナッシュヴィルに連れて行っても決して聞き劣りしないくらいの技量のため、聴いていて実に素晴らしいものがある。ただスピリッツ&ソウルの面を言えば、やはりアイルランドやデンマークなどには及ばないのかなあとも思え、アーティスト・カラーも特に女性歌手は歌はカントリーでも、振りはソフィスティケイトされたフレンチ・ポップスの「尻振れンチ」に、どうしても見えてしまうのは、筆者だけであろうか。それにフランス語のニュアンスもアルファベットを使う圏内では、最も左によっている感じなのが拭えないかも。しかしフランス語のカントリーは、カナダでは現行のスタイルとして数多く普通に聴かれ、歌われていることを思えば、言葉の違和感はわれわれ日本人だからこそ感じる鎖国型ニュアンスなのであろうか。カナダでは英語とフランス語のバイリンガル・カントリー・シンガーが、あのブライアン・マレリーを筆頭に数多く活躍している。カナディアン・カントリー・シーンも最近の発展と人気は目を見張るものがあり、その辺は改めてご紹介する予定。
では、今日は最新の到着ビデオで、フレンチ・カントリーの素晴らしさをご覧あれ。

♪ (VTR) “Frappe Des Mains” (Guylaine Tanguay)

♪ (VTR) ”Je M’nnuie d’elle” (Pascal Bessette)


August 5, ‘15 issue

■ リン・アンダスン他界

カントリー・ミュージック界のアイコン的存在であったリン・アンダスン(Lynn Anderson)が7月30日未明に亡くなったが、最近ビッグ・アーティストなどの死亡ニュースにガサネタも多く、アメリカ国内にあっても正式な、このリン・アンダスン死亡ニュースは、8月3日にオフィシャル発表となった。彼女は1947年生まれ、ということは享年67歳となる。
死去の原因は公表されていないが、以前から糖尿病を患っており、その複合合併症による心臓発作と報道されている。亡くなった場所は、入院先のヴァンダービルト・メディカル・センター(ナッシュヴィル)で、父親のケイシー・アンダスン、父君でレージェンダリー・シンガー・ライターのメンター・ウィリアムス、3人の子供たちと4人の孫たちが最後を看取った。
(なお母親はリズ・アンダスンで、歌手としても成功していたが、ライターとしてマール・ハガードの”All My Friends Are Gonna Be Strangers”、”I'm A Lonesome Fugitive”やマール&ボニー・オウエンズで知られる”Just Between The Two Of Us" 他、多数のヒットを世に送り出した大物だった。)
リンは今年は久しぶりに、全曲スタジオ新録音アルバムを発表した(画像参照)ばかりで、またその中の収録曲、”Drift Away Gospel”が先週シングル・カットされて早くも話題となり、ラジオなどでもかかり始めたところであった。ご存知のとうり”Drift Away"はドビー・グレイのというより、アメリカン・ポップスの永遠のビッグ・スタンダードだが、それを書いたのがリンの父君、メンター・ウィリアムス。そして今回愛妻リンに一部歌詞をアレンジして、”Drift Away Gospel”として録音したのだった。

♪ (video) “Drift Away Gospel” sung by Lynn Anderson (映像は歌詞のみ)
♪♪ 最新(ラスト)アルバム、”BRIDGES” のプロモーション・ビデオ

Aug. 5, ‘15

■リン・アンダスンを偲んで

♪ “Top Of The World” by Sunday Drive


July 18, 2015 issue

■現在ヒット中!! サザン・ゴスペル編

ロック&ポップスに次ぐアメリカ最大の音楽ジャンルは、言わずともがなカントリー・ミュージックである。いや、むしろ場合によっては(各種の統計などによれば)カントリー・ミュージックが商業規模ではポップスを上回るケースも多い。しかし知ってのとおりカントリー・ミュージックというくくりの中には、さまざまな音楽要素があり、それらはジャンルとして分類され、一つ一つが独立した音楽産業を形成している。そして中でも特に近年、その発展・拡大が顕著なのがサザン・ゴスペルであり、今ではほとんどカントリーとは一線を画し、独立した巨大なジャンルと化してきている。
サザン・ゴスペルという名称からは、多くの日本人は、かつてその音楽が特定の意味合いの元での紹介のされ方をされて以来、いまだに黒人霊歌や貧しかった黒人の哀歌のようなものの一種と思い込んでいる人が多い現状は、実に困ったものであり、嘆かわしいという他はない。ゴスペルは単純に"宗教歌”であり、人種には関連していないし、広義な意味合いに於いては、ゴスペルにはワーシップ(礼拝)のための福音という重要な役割も果たしている。またゴスペルというくくりの中には、インスピレイショナル・ミュージック、インスピレイショナル・ロック、カントリー・ゴスペル、ブルーグラス・ゴスペル、カントリー・クリスチャンそしてサザン・ゴスペルなどの音楽形態があるが、いずれも大体その各名称どおりの音楽と考えていい。ただし、所謂黒人アーティストなどによるゴスペルのR&Bやソウルは、おおむねインスピレイショナル・ミュージックの中に入ることが多いのと、サザン・ゴスペルはカントリー音楽でありながら、主に宗教的意味合いを持つ白人向け音楽を指すネーミングであることを覚えておきたい。

さて、今回は、カントリー・ミュージックの巨大な”うつわ”の中の最も大きなジャンルである、サザン・ゴスペルの最新のヒット曲の中からゴスペル・チャートなどで上位に入っている曲やビデオを3曲紹介。各アーティストの紹介は省略し、アーティスト写真のみとします。

♪”Kookes And The Hinsons" by Zack & Rodney with Michael Lee 動画 (「クックス・アンド・ザ・ヒンスンズ」=ザック&ロドニー・ウイズ・マイケル・リー(歌))



♪ ”Mercy Built The Bridge" by The Dunaways
 (「マーシー・ビルト・ザ・ブリッジ」=ザ・ドュナウエイズ(歌))



♪ ”When I'm Cut" by The Parish Family
  (「ウェン・アイム・カット」=ザ・パリッシュ・ファミリー(歌))


JUNE 28, ‘15

■ジョージ・ジョーンズの伝記映画の制作が決定

制作プロダクションの28 Entertainmentとジョージ・ジョーンズ・エステートの両社が最近、この映画を依頼されたアラン・ウェンクス(映画脚本家・制作者)がその活動根拠地であるフランスのカンヌで、ジョージ・ジョーンズの伝記映画の制作を決定したと、メディア発表した。予定されている映画タイトルは、「No Show Jones」となっている。「Possum」というタイトルも考慮の対象にはいっているとのこと。だがPossumのほうは同じジョージのあだ名でも、そのものはアメリカ南部の伝統の料理をさすものながら、かなりその故人が「南部の田舎モン」というイメージにしぼられすぎるきらいがあることから考えると、「No Show Jones」、すなわち現れないジョーンズのほうが、よほど映画にはピッタリくるためと思われる。
No Show Jonesというニックネームを知らない人はいないと思うが、この由来は、ジョージがアルコール依存症(アル中)となった70年代半ば頃から、度々ステージに遅れたり、稀には最後まで現れなかったりしたことで、彼のバンドメンバーたちが言い始めて広まった「あだ名」であり、これを映画のタイトルにしたほうが、見ようとする人に興味をそそらせると考えたと思う。しかし面白いことに、だいぶ後になって、ジョージ自身が自分のことをNo Show Jonesとステージで発言したこともあるのである。

この伝記映画の基盤は、ジョージのデビュー時代の1950年代から、プライム・ピークの1970年代近辺までを特に再現し、7年間のタミー・ワイネットとの結婚生活、その後の最後の妻となったナンシー・ジョーンズとの再婚までを重点におき、そこに歌手として登りつめていくジョージ・ジョーンズを同調させながら進行するという展開だ。そのため勿論レコーディングやライヴ風景も多く入る。
なを、現時点ではまだジョージ役の俳優の名前も、他の出演者の名前も一切発表になっていないし、最終決定していないもののようだ。(わかり次第発表します)
すでにジョージの他界直後から、ジョージの近親者やカントリー・ミュージック業界を深く調査してきたアラン・ウェンクスは、次のようにコメントしている。
「ジョージ・ジョーンズは本当の意味で、まさにロックそのものに飲み込まれそうになっていたカントリー・ミュージックを瀬戸際で救ったし、また、彼の人生そのものがカントリーの真髄そのものだった。つまり、愛、ロス(失うこと)、償還(神により罪から救われること=聖書にもあり)、そして酒。それら全てが彼自身の人生であり、同時に彼のレパートリーの内容もそうだった。」
(アラン・ウェンクスはジョージがカントリーをロックから瀬戸際で救ったとあるが、あの時点ではそうであったが、ご存知のようにその後現在のように2000年代に入り現在に至っては、完全にロック&ソウルに征服され飲み込まれてしまっている。)

さてこの映画は、芸能面は別として、何処までジョージのインディビデュアルな面が表現されるであろうかが、興味の焦点だと思う。例えばタミー・ワイネットがジョージからひどいDVを度々受けていたにもかかわらず、一度も被害届を出さず、また訴追もしなかった点。彼女がその暴力のせいで仕事をキャンセルせざるを得なかった点。またタミーが彼のアルコール依存症を治癒させることに絶え間ない努力を惜しまなかったこと、等々。脚本のアランはナンシー・ジョーンズと2年間に渡り何度も話を聴いたり打ち合わせをしていた中で、ナンシーはそれらの彼の周辺の”公然の秘密”的事実も隠さず話したであろうかなどは、明らかではない。それにナンシー・ジョーンズはこの映画のExecutive Producer (制作責任者)だ。ジョージは、再婚直後のあるインタビューに応えて、こう言ったことがある。「ナンシーは私をアルコール依存症から救ってくれた」と,タミーのことには触れない。ま、この映画では真実は語られないであろうなぁ、と早くから論争をかもし出してもいる、といったところだ。

(Alan Wenkus)


May 15, 2015

■フィドラー、ジョニー・ギンブル他界(88歳)

カントリーとウエスターン・スウィングの両分野、またバディー・スパイカーと並んで、1960~1980年代にかけて録音セッション・プレイヤー&ステージで第一線で活躍したジョニー・ギンブルが心筋梗塞により、去る5月9日未明に亡くなった。享年88歳。アメリカ人としては長命であった。

ジョン・ポール・ギンブルは1926年5月26日にテキサス州タイラーに生まれ、12歳でフィドルをマスター、若くしてボブ・ウイルス&テキサス・プレイボーイズに加入し、”ジャズを取り入れたウェスターン・スウィング” のスタイルを確立させた。今までにCMAアワードで「ベスト・インストルメンタリスト賞」を5回、ACMアワードでは、「ベスト・フィドル・プレイヤー賞」を実に8回も受賞している。

1990年から2000年にかけては、”オースティン・シティー・リミッツ”などのTV番組にもレギュラー出演するなど、地元テキサスでの活動を主だったものとしていた。また”One Fiddle, Two Fiddle"は、クリント・イーストウッドがその映画、"HONKY TONK MAN" でフィーチャーし、全米でもラジオ・ヒットとなった。発売されたソロ・アルバムは約12枚くらいと、フィドラーとしては多いほうだったが、何といってもレコーディング・セッション・プレイヤーとしての仕事が、最盛期のギンブルのトレード・マークだったといえるし、その曲数は数千曲であり、リスト・アップは不可能だ。惜しいミュージシャンがまた一人亡くなってしまったという感じだ。


MAY 13, 2015

■アラン・ジャクソンが肺がんの子供の夢を・・・・・

「この種の美談は多いよね」なんて言い放つ人の気が知れないものだが、子煩悩としても知られるアラン・ジャクソンはこういったボランティアを度々やっていて、その一つ一つはほとんど取り上げられてはいない。だが、今回はその子供の母親が自己のFacebookに、この出来事を掲載したため衆知のこととなったのだという。
その子供は名前をジョシュア・ジョンといって4歳の男子。テネシー州の東部の町、ラトレッジに住む。しかし小児癌の肺がんに侵され、現在はかなり危険なレベル4の状況で、決して予断をゆるすものではない。でもカントリー・ミュージックを聴いたり一緒に口ずさんだりを生き甲斐に、苦しみの毎日を生きている。そしてジョシュア・ジョンの最大のアイドルはアラン・ジャクソン。
ジョシュア・ジョンの家族や周囲の人たちが、何とか子供を一度アラン・ジャクソンに会わせてあげられないかとジャクソン側にコンタクトを繰り返し、今回の会見が実現した。
その結果、アラン・ジャクソンは特別のリムジンをレトリッジのジョシュア・ジョンの家に差し向け、彼とその両親をナッシュヴィルのカントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイムまで招待し、また3人を市内のホテルのスウィート・ルームに宿泊させてあげて、その部屋でアランが直筆サインした新品のアコースティック・ギターをプレゼントするという、まさにジョシュア・ジョンにとっては夢のまた夢を現実のものとして至高の喜びをかみしめさせる、忘れることの出来ない思い出をプレゼントしたのだった。
ジョシュア・ジョンの母親が、後日この経緯とアラン・ジャクソンへの感謝の気持ちを自分のFacebookに綴り、多くの人々の目を潤ませたのである。



April 27, 2015
■コニー・スミス久々の新譜



2012年にマーティー・スチュアートと離婚して以来も、変わらず「マーティー・スチュアート・ショウ」(RFD-TV)に出演し、一見「ホントに離婚しているの?」っていう感じで、おもしろいものだが、そのコニーが久しぶりに新譜を発表。ただ録音での最新は、5年前に発売された Longline Of Heartaches で、それ以降の新録新譜ではないが、アルバム・タイトルをLOST TAPESといい、いうならば「未発表録音集」といったところ。しかもここ20〜30年前よりもっと古い、コニーの円熟期のもの。まだCDが手元に届いてないので詳細は不明だが、下記参考添付曲を聴く限りでは、少なくてもピート・ドレイク(スティール)が生きていた時期であろう。
では、シングル・カットされた1曲を聴いてください。曲はご存知 G. J. の名曲 “Race Is On”

♪ ”Race Is On" (コニー・スミス)


■第一回 「ミュージック・シティ・アイリッシュ・フェスティバル」開催


ナッシュヴィル市と北アイルランドのベルファスト市が姉妹都市ではあったものの、今まで両市を結ぶ音楽的イベントといえば「ナッシュヴィル、ベルファスト・ソングライター・フェスティバル」位しかなかったものの、ここ数年来のアイリッシュ&スコティッシュ・ポップス&カントリー・ブームが、今や完全にと言っていいほど全米を席巻しようとしている現状に答えるかのように、去る3月の半ば、今後は年に一回開催となってゆく “Music City Irish Festival” が開催され、多くの観客、メディアで賑わった。特に世界的に超ど級人気のスコティッシュ・ポップス・グループ、”バグロック”といわれる、レッド・ホット・チリ・ペッパーズをメイン・アーティストとしてウイリス・クラン、モリー・ラモーン、カーム・カーワン、ビート・ルートといった人気アーティストたちのステージも大受けだった。
この第一回目には目立ったカントリー・アーティストは含まれなかったが、多くのアイリッシュ・カントリー・アーティストたちは、アルバムの録音やツアーでアメリカに来る回数がここ数年で約3倍以上になっている現実を考えると、両国の関係はさらに緊密になりそうだ。
無論、ご存知のようにカントリー、ブルーグラスはもとよりアイルランドが原産国であり、アイリッシュが約300年前のアメリカ移民のときに持ってきたものであり、アイルランドの人々はその名誉を財産としてもいる。また、アメリカのカントリー・ミュージック・マーケットが何故今、アイリッシュ・カントリーのシェアを伸ばしているかは、やはりアイリッシュ・カントリーは純然に”トラディショナル・カントリー”(日本的にいって正調カントリー)の天国であり、ミュージック・ロウの大手の大半がカントリーの制作をやめ、通称”ナッシュヴィル・ポップ”のみをリリースするようになった分、引き合いが多くなってきているということであろう。それに、ここ数年でアイリッシュ・カントリー・アーティストの質や若返り、クォリティーがアメリカ産と変わらないくらいにまでレベル・アップしてきており、ここ日本でも、正調カントリー・ファンのアイリッシュ志向がすでに始まっている。

⇒ 参考曲&映像 

♪ ”You Ain't Dolly" (ロバート・ミッチェル & グレイン・ギャビガン)曲のみ
    (解説:ロバート・ミッチェルは、ジョージア州に居住したアメリカ移民のアイリッシュ人家庭に生まれ、20年前くらいにアメリカからアイルランドに逆移民している。ジョージアには20歳すぎまでアメリカでカントリー・シンガーとして、ローカルに人気を博していたが、意を決してアイルランドへ。逆移民後、アイリッシュ・カントリー界の最大のヒット曲”Say You Love Me"を放ち、いきなりトップ・スターの仲間入りをはたした。曲は最新ヒット)

♪♪ ”Maria's Headin' Out To California" (ミック・フラヴィン)ライヴ映像
    (解説:ミック・フラヴィンは10年ほど前にはトップ・アイリッシュ・カントリー。スターのひとりだったが、最近は若手に押され気味。とはいうものの、いままでに8枚ものCDを発表し全てベスト・セラーで、イギリスでも人気がある。紹介するのはわりと新しい映像で、珍しく自分のツアー・バンドとのステージ)

♪♪♪ ”Nobody's Darlin" (ナイザン・カーター)曲のみ
    (解説: ネイザン・カーターは「ワゴン・ウィール」のカヴァー・ヴァージョンで一躍オーヴァーナイト・サクセスをはたした若手の人気歌手。アメリカでもチャートに入る人気のデレク・ライアンに追いつき迫ろうとする勢いだ)  


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